文字の墓場

文字を書く練習だったり、読んだ本の感想を書いたり、そんなブログにあこがれます。

ロースおじさんのとんかつ教室

ロースおじさんのとんかつQ&A その悩み、豚に相談した?
ロースおじさんのとんかつQ&A その悩み、豚に相談した?
一迅社

豚に、悩みを、相談、する……?


頭の中にクエスチョンマークが浮かびまくり、kindle版を購入した。結論から言うと、私にとっては大正解の本だっだ。型にはまらず、かといって正論だけで詰めてくるわけでもない。


「おれ面白いこと書いてるだろ~?」というテキストサイト独特の臭さもなく、あっさりと読める。物足りないとかじゃなくて、物事や悩みとの距離感ってこのくらいでいいんだろうなと思わせてくれるこの豚本。


悩みを斬ってくれるのは、ロースおじさんと呼ばれる人の言葉を話す豚です。閑古鳥が鳴きまくっている飲食店を経営していて、小学4年生の子どもさんを愛しています。愛しすぎて小学校に不法侵入し、4年生の体操服や上履き、消しゴムのカスを集めるという行動をとっており、地元の親御さんからはしばきにしばかれているそうです。


ただのロリコン豚野郎と思いきや、ロースおじさんは小学4年生に欲情しているわけではありません。ただただ崇拝しているだけです。小学3年生にも5年生にはない、4年生しか持っていない何かを尊いと感じているだけなのです。そのため、4年生の児童に危害を加えようとか、性的なアクションを起こしてやろうとか、反社会的な考えは持っていません。


で、そのロースおじさんがどんな悩みを聞いてくれるのかというと、ジャンルが幅広くて一言では言えません。


やりたいことが見つからない学生、浮気したことが妻にバレて実家に帰られてしまった旦那、好きな女の子とのデート場所に悩む男子、おいしい鍋のレシピ、ネットのバッシングが怖くて創作活動ができない人、不倫をしており略奪を企む女性、セックスが好きになれない女性、浮気がやめられない男性、いいダイエット方法などなど


私が特に気に入っているのは、浮気バレをして奥さんが実家に帰ってしまった男性の話です。「奥さんが実家に帰ってしまいました。実家の前で土下座をします。許してくれるまで土下座を続けようと思っています」と話す男性に対し、ロースおじさんは「土下座一発で許されると思ってるんか?」の一言で男性の考えを一蹴。


ロースおじさんが言うには、最初のうちは土下座が苦にならなくても徐々に「こんなに土下座しているのに、まだ許さないのかよ」という気持ちになってくるので、土下座で謝罪は意味がないそうです。確かにね!


眠くなったので終了します。おやすみなさい。

ゴミ

「わたしは、ぼくは、こんなにしあわせ」


インターネットは知識を深めて、見識を広げて、新たな友人との出会いを提供してくれる素晴らしいツールだった。しかし今はどうだろう。幸せの発表会になっている。政治家も芸能人も著名人も一般人も、猫も杓子も幸せを発信している。


本当に幸せに感じていたのならいいんだ。誰かと共有するのも悪くはないし、SNSやブログにアップしておけば読み返せる。アメリカの研究だったかな。SNSを読み返して当時の幸せを思い出して満たされる人が案外多いらしい。


その記事を読んで、ぼくは「ああ、その人たちは本当に幸せで楽しかったんだろうな」と純粋に思った。でも、うらやましいとは思わなかった。きっと幸せのランク付けがあるのだろうと、ふと考えたからだ。


幸せは目には見えず、他人との比較でしか大きさも強さも確認することができない。人にほめてもらって、うらやましがられなければ理解できない。人は無意識にランクを確認して、自分の順位を気にしている。それが悪いことだと言いたいわけじゃないんだ、ぼくは。


だけど、しあわせを競うトーナメントは不毛だとは思う。だって勝者がいないから。しかもネットでは性別も年齢も職業も偽れる。言語さえわかれば国籍や人種だって嘘をつける。嗨,你是哪國人?我是台灣人啊!と言う風に。


何が本当で何が嘘なのかもよくわからない空間で、勝利を目指して誰かが誰かを叩く姿を目にしていると「この世界には希望のストックがもうあまりないんだな」と嫌でも思ってしまう。


愛されていると思われたい、好かれていると思われたい、金持ちだと思われたい、頭がいいと思われたい、面白いと思われたい、尖っていると思われたい、実力者だと思われたい。


思われたいの連鎖が悲しい不幸を産んでいくのだけど、その不幸すらもコンテンツとして消費されていく。コンテンツを見た人たちはこう思う。


「ああ。こんな風にならなくてよかったなぁ」って。

打鍵感の強いキーボードが欲しい

打つとカチャカチャうるさいキーボードが欲しい。静音設計を度外視しているキーボードで文字を打ちたい。そんなとき、ありますよね。