文字の墓場

文字を書く練習だったり、読んだ本の感想を書いたり、そんなブログにあこがれます。

同級生が嫌いという感情

コロナ禍で書くひさしぶりのムラゴンブログ、根暗なトピックではっじまっるよー!!


私は同級生が嫌いだ

某招待制SNSが全盛期だったころ、私はバンド仲間から招待状を受け取り、そのSNSに登録した。現在ではオワコンと囁かれている某SN……もう面倒くさいからmixiって言いますわ!mixiね!mixi!マイミクとかクッソ懐かしいね!


そこで小中学校の同級生と再会したんだけど、時間の流れなのか、アホな大人になった証拠なのか、もう軒並み頭がおかしい人達になっちゃってたんですよ。まぁ小中学校のころから「こいつら人格破綻者かな」と思うようなことはあったんですけど。


家庭の事情で学校になじめなかった気弱な男の子をいじめていた男子(小学校)
集団万引グループを作り文房具やらお菓子やらを窃盗していた女子(小学校)
個人店でジュース万引したと自慢してくる万引常習犯の女子(小学校)
暴力衝動が抑えられず男女問わずに暴力を振るっていた男子(小学校)
いじめっ子に逆らえずキョロ充になり、自分もいじめに加担した男子(小学校)
気に入らない女子の髪の毛をハサミで切っていた女子(小学校)
マルチ商法にどっぷりハマり、同級生になりすまして自宅までわざわざ訪ねてきた男子(中学校)


と、悪い意味でバラエティ豊富な面々。実はまだいるんだけれども割愛します。


こういったメンツがmixiに集ってるわけ、魔境のmixiかよ

なぜ嫌いなのかを考えてみた

こうして書き出してみると、長年のもやもやが少しだけクリアになっていく気がする。


なぜ嫌いなのか、というと全員が意図的に加害するタイプだからだ。


加害行為や迷惑行為を「おれってすげーヤンチャだったからさ」という武勇伝や「そういえば、昔あんなことしてたんだ~」という思い出話として語れてしまうようなメンタルの持ち主だからだ。


だから嫌い、すごくシンプルな理由だった。やった人がいるのであれば、やられた人がかならず存在している。そこに思いを馳せられない無神経さが嫌いなのである。

友達は宝?それは言い方が悪いと思う

小中学生のころの教師は、さらっと嘘を教える。


「友達は宝だから大切にしましょう。このクラスのみなさんも、卒業しても仲間であり宝です」という言葉も、正確ではないと思っている。


宝や仲間だと思える友達だけが、宝であり仲間であり友達だと言ったほうが正しい。


友達という関係のすべてが宝ではないし、ゴミのような関係を宝と思い込ませてはいけない(ここで注意したいのが、友達関係のすべてがゴミと言っているわけではないというところ。自分自身にとって捨てたい・つらい・嫌いとしか思えない友達関係はおしなべてゴミだと言うことです)


そもそも同級生って同じ学校、同じ学年、同じ部活で過ごしているというだけで、全員が大事な友達!ってわけでもないからね。


で、なんでこんなことを言っているのかというと、学生さんの悩み相談を受けていると友達関係の壁にぶち当たっている内容が多いから。


「友達が嫌いです」とか「友達といると疲れます」みたいな内容。同窓会に行きたくないとか、昔の友達に会いたくないとか、そういうお悩みもいただきます。


友達を作らないといけない、友達がいないとさみしい人だと思われるという言葉もガッシガシ聞きます。一緒にいて楽しいから友達になるんじゃなくて、友達が欲しいからとりあえず誰かとくっついてみるって感じになっているんだな、と。


そんなん合わなくて当然だし、一緒にいて辛くなってくるのもしかたがない。だって、その人と友達になりたいんじゃなくて、自分がさみしかったり、変な人と思われたくなかったり、そういう感情だけでくっついてるんだもの。

テンションを戻していくぜ

同級生の話から友達のあり方みたいな文になっちゃったんですけど、なんでこうなったんだろうか。これぞブログの不思議です(書き散らかしているのは私です)


で、まぁコロナなんて蔓延していない時代だったので、同級生のうち二人の男子に会ってみたんですよ。結論からいうと、一回きりで二度と会うことはなかったですし、ネットで絡むことももうありません。


なにが書きたかったのか今となってはわけがわかりませんが、思い入れのない同級生は友達ではない、宝でもない。つらい・嫌い・なんか違うと思って付き合い続けるのも友達ではないってことで、締めくくらせていただきます。


ダラダラ書いたブログを読んでくれてありがとうございまっしゅ!